「悩む時間はもったいない。一球でも多く打つ事が答えを早く見つけると考えよ!」
少年時代のキャディ経験から身を起こした中村寅吉とゆうゴルファーの名言だ。彼の上達法の唯一の哲学は、「体で覚える」ということだった。 プレーヤーが帰宅した後、クラブハウスの灯が消えたあとが中村少年の練習時間だった。練習グリーンの上、暗闇のなかで黙々とパットの練習をくりかえした中村少年は、カップインしたかどうかは左耳で確認していたそうだ。 「だからよう、おれはヘッドアップなんてしたことねんだよ」とよくトラさん(親しみを込めてゴルファー達はそう呼んだ)は言ってたものだ。 後年、安田春雄、樋口久子らが弟子として入ってきたときも、手とり足とり教えたわけではない。「目で盗め。体で覚えろ。それがいちばん強い」が口癖だった。 158cm、65�sの小柄な中村が、当時の「ゴルフのオリンピック」であるカナダカップに優勝して、第一次ゴルフブームを日本に巻き起こしたのも修練に修練を重ねた技術があったればこそであった。
◆中村 寅吉(なかむら・とらきち 1915年〜)
家が貧かった寅吉少年は、小学校を卒業し、保土ヶ谷CCにキャディとして働く。見よう見真似でゴルフを覚え、やがて先輩をも追い抜く上達をみせる。プロ入りし、マッチプレー全盛の頃はさしたる成績は残していないが、ストロークプレーになって無類の強さを発揮しはじめる。56年に始まった関東オープンでは4年連続、2年置いて3連勝。日本オープン3勝、日本プロ4勝など勝利多数。なかでも極めつけは57年、霞ヶ関で行われた当時の「ゴルフのオリンピック」カナダカップに小野光一と組んで優勝したことだろう。中村は個人優勝も果たして戦後のゴルフブームに火をつけた。女子プロ界の女王となる樋口久子を育てたことでも有名。その後も日本プロゴルフ協会会長なども歴任。プロ界の指導的役割も果たした。
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「今終わったショットはすぐ忘れて、次のショットへ集中すべし」
ゴルフはミスのゲームである。ボウリングのように300ピンでパーフェークトということがない。大事なのはミスをしたことを忘れること、気持ちを切り換えて次のショットに向かえと、この名言はいってるのだが、これがまた凡人には難しいものなのである。後悔は詮ないものと知ってはいながら、ふっきれないのが人間なのだ。
1923年米国生まれ。父親もプロで3歳でクラブを握り、19歳でプロ入り。
スコアは金では買えない。しかし、金で買えるスコアがあるとするならば それはクラブだ!と。ただし、クラブといっても、それはその人にぴったしフイットしたクラブであるという条件がついている。 ◆トミー・アーマーアマ時代に英米アマ対抗戦ウォーカーカップの英国代表、プロではライダーカップの米国代表にえらばれるという偉業もなしとげた。
ゴルフやる前に何か運動をやってたかである、つまりベースとして運動能力があるかどうかによっても、上達には差があることはいうまでもないだろう。 たとえば、誰もがプロになろうと思っているわけではないし、またなれるものでもない。リー・トレビノ 「 パットでのグットフィーリングだけはすぐに忘れるゴルフをプレーする人なら誰にも経験があることだろう。これはショットにもいえるが、パットほど顕著ではない。◆リー・トレビノツアー優勝27。メジャーも5勝。
「浮気ものはパットが下手!」読めば読むほど判らなくなる。その彼が、史上最高のパターの名手と言うのが、南アのボビー・ロック。彼の18ホールでの総パット数は、この1年間というもの、ただの一度も28打を超えたことがない」とある。 1947年から参加した米ツアーでは、2年半の短い期間に優勝13回、2位10回、3位7回。「浮気者はパットが下手!」(飯田章ゴルフのページより)